こんばんは♪
大福です。
コロナ療養明け、直後に給与。
という状況のため今週は療養中に対応できなかったタスクなど「負債」の対応がメインの一週間でした。
負債も消化でき、週明けから通常運転になりそうで一安心しています。
では、今週も元気よくいってみようと思います!
〇離職票物語り~やんちゃな案件
今週で最もしんどかったのは「自然退職(休職期間の満了)」でした。
大きくは二つ。
①該当者へのもろもろの説明
②ハロワークへの届出(離職票)
①該当者へのもろもろの説明
まだ復職できない状態の人に、あれこれ説明するのは本当にしんどいです。
体調が悪いのはぱっと見でわかりますし、給与、傷病手当金、住民税、健康保険などなど体調良い状態でもお腹いっぱいになる情報量をお伝えするわけです。
また、最悪は揉めるケースもあります。
総務や担当者は退職届を受け取って、準備し本人に説明。
その際に
「〇〇部長から辞めろと言われた」
とか
「今回の体調不良は会社のせいだ」
のように、総務的には初見で知らんがなとなりいきなりゴングが鳴りだす感じです(笑)
今回については、滞りなく説明も終え、休職期間満了についても納得は頂けたようで一安心でした。
②ハロワークへの届出(離職票)
①よりも地味に大変なのがこちら。
良くある「自己都合による退職」では退職届を証憑として提出するだけです。
が、今回の様な”やんちゃな案件”についてはその事情を証明する証憑が必要です。
今回の休職期間満了で用意した証憑は…
・離職票
→退職理由:休職期間満了で、異議無しと同意のサインを頂く。
・診断書
・休職願い
・就業規則
で、とりあえずは受領されました。
他、やんちゃな案件で言えば「懲戒解雇」です。
こちらは段違いに難しいです。
・懲戒処分が記された就業規則(写し)
・添付懲戒処分を本人に提示した際の書面
・解雇予告除外認定を受けたことを示す書面
例えば、業務上横領が発覚し、本人に聞いて間違いなことが確認されました。
という内容のものに署名・捺印を頂き「事実を証明・確定」させます。
次に、就業規則に懲戒事由があるか?がポイントになります。
規則になければ懲戒解雇はスタート・成立しません。
で、こうこう検討した結果、懲戒解雇になりました。
的なプロセスをハロワークに書面で提示する必要があります。
よほど疑義が無ければ、受領はされます。
ただ、懲戒解雇というのは一般の人が思う以上に重いものです。
次の職場でなんか怪しまれて離職票の提出を求められ、そこに「業務上横領により懲戒解雇」なんて書かれていたら就職は困難です。
なので私は訴訟リスクなども含めて、付け入られる隙の無い証憑を意識して対応しています。
今回の自然退職もレアなケースなので、無事終えられて良かったです。
ハロワークから受領印を頂いた離職票を受け取ったら逃げるように退散しました(笑)
〇試験会場で嗚咽した話し
当然、といえば当然かもなのですが社労士試験時に比べて知識の質・量ともに格段に落ちています(笑)
感覚としては、受験当日100としての対比は30%位です。
もちろん普段の業務に支障はありませんが、一瞬出遅れる感じだったり、あれ?なんだっけ?ということはままあります。
先日も在職老齢年金の質問を受け、思わず旧来の28万円と答えそうになったくらいです。
振り返ると試験本番当日はおかしかったです。
とにかく、異常に調子が良かった。
もちろん試験当日にピークを持っていくことをずっと意識していた結果だったとは思うのですが…
ただ、思ってたのと違いすぎました。
興奮状態ではなく本当に静かな、静かすぎるくらい落ち着いていた。
起床後ランニングしたのですが、普段より身体が動ける感じがしていつもよりキロ当たりのペースは30秒程度早かったです。
会場入り前に近所の神社に行って、無な感じで「1年間ありがとうございました。」とだけ拝礼して、自分の空気感が引き締まってピッとなったのはなんとなく覚えています。
そして、試験会場に到着して着席し、愛用の問題集を読んでいました。
ノイキャンのイヤホンから流れるのはミスチル。
自宅か?ってくらいここでも静かな心境…。
そして、ここでちょっとした事件が…。
そろそろ時間だな…イヤホン外さないとな…ラストは何が流れるかな?
なんて思っていて流れてきた曲はMr.Childrenno「生きろ」でした。
実はここで不覚にも泣いてます(笑)
ラスサビ
追いかけろ 問いかけろ
いっそ裸足のままで 血をたぎらせながら
ここからまたひとつ 強くなる
失くしたものの分まで
思い切り笑える その日が来るまで
生きろ 生きろ
なんか、ここの歌詞に入った時に急にこの3年超の色々な思いがフラッシュバックして「あかん、泣きそう」と堪えたのですがダメでした。
声を押し殺して嗚咽・マジ泣き(笑)
実はこの3か月前、ミスチルのコンサート「半世紀へのエントランス」に行ってるんですね?
ダチョウ俱楽部の上島さんが亡くなられた日の参戦で、ラストに歌われたのが「生きろ」でした。
中学生のころからのファンで、ファン歴30年。
これまでのあれこれもあったのかどうか、感情ぐっちゃぐっちゃになってぶわって感じだったんだと思います。
ただ、逆に?泣いてすっきりしてちょうど試験官の説明が始まりました。
この時の心情はまるでキングダムの王騎将軍に鼓舞された雑兵、突撃前って感じでした。
そっからはあまり記憶がありません。
気づいたら、試験が終わって、駅に向かっていました。
ていうか、私の周りにいた皆さん…
急にしくしく泣きだしてごめんなさい。
試験番号的に前後の人は不気味だったでしょうね。
結果的に不合格ぽかったでの、その責任を少し感じています。